みそ汁騒動がおしえてくれたこと
w'AND illustrationの佐藤祐輔です。
昨日の夜、友人たちとご飯を食べにいきました。
コーチング、カウンセリングを基礎から身につけるCEL講座で共に学んだ仲間たちです。
講座中に何度かきたことのあるとてもおいしい創作和食のお店。
そこでのできごとでした。
騒動の顛末
給仕してくれたのはハキハキした若い女性のスタッフでした。
前菜にはじまり、メインが続きます。
野菜もお魚もとてもおいしく、見た目以上のボリューム。
シメの釜飯には出汁のきいたおいしいみそ汁がついてきます。
釜飯をテーブルに置いた後、お盆でみそ汁をもってきたときでした。
彼女の手がすべり、みそ汁のひとつが私の方にたおれたのです。
こぼれたみそ汁が私の左腕、左腿、おなかにかかりました。
一瞬なにが起こったのか分かりませんでした。
即座に思ったのは「白い服を着てこなければよかったなぁ」でした。
※でかけるとき、白い服を着ていることになんとなくの不安を感じたのが的中したようです。
同席していた私のメンタル面での師匠Sさんがすぐに処置の指示を飛ばしました。
- 流水でみそ汁がかかった部分を5分間冷やすこと。
- その後にビニール袋にいれた氷でしばらく冷やすこと。
私はお手洗いでみそ汁のかかった左腕を冷やしました。
水道水がとても冷たくて、とても5分もつけていられませんでしたが。
その間、女性スタッフは何度もお手洗いに様子を見にきてくれました。
替えのタオルをもってきたり、指示に従ってビニール袋にいれた氷をもってきたり。
おろおろした様子ではありましたが、彼女なりにミスを挽回しようとしていました。
厨房の男性スタッフが謝罪、事後何かあったときのためにと名刺をもらって騒動は一段落。
そこでSさんはみそ汁をこぼした女性スタッフをテーブルに呼びました。
すこしおびえた様子でやってきた彼女に、Sさんはこういいました。
「がんばってね。わたしたちはあなたにこのままお給仕を続けてほしいと思っています」
女性スタッフは泣いていました。
その後、なおいっそう、ハキハキと元気な様子で給仕を続けてくれました。
「赦す」と「水に流す」の違い
このできごとから何が学べるでしょうか。
Sさんの言葉はとても寛容でとても厳しいものだと、私は感じました。
失敗の直後は「また同じ失敗をするのではないか」と不安でいっぱいのはずです。
その失敗を認め、受け入れた上でなお続けるようにいっているのです。
暗に「失敗を挽回せよ」といっているのです。
これをプレッシャーと感じる人もあるでしょう。
怒られて「二度と出てくるな」と言われた方がすぐに楽になれたかもしれません。
「赦す」とは単に水に流すことではありません。
そのできごとを認め、受け入れることです。
「水に流す」とはそれをなかったことにすること。
おそらくこのみそ汁騒動を水に流してしまったら、彼女は怒られる以上に不安を抱えたままになるでしょう。
挽回する機会すら与えられないのですから。
カウンセラーであるReflinyの岩井智子さんはブログで次のように書いています。
あなたは、こんなふうに言うことはないですか?
「自分の○○なところは受け入れられない」
○○の部分には、自分自身の嫌いな一面を言うことがありますね。
嫉妬深いところ
冷酷なところ
打算的なところ
恨みをもつところ
たとえば、こういった部分をこのまま「好きになる」のは無理があると思いませんか?
そこで「受け入れる」というやり方があるわけです。
(中略)
「○○な部分があるんだな」と思うことによって、
○○な部分という存在を認めることにもなります。
念のため申し上げますが、存在を認めるとは、
それが「良い」あるいは「善い」とすることではありません。
「それがそこにある」と気がつくようなことです。
(参考:「受け入れる」ってどういうこと? Refliny(りふりにぃ)Note)
失敗を受け入れるのは、それが自分のであれ他人のであれ、難しいことです。
それが「赦せる」ようになったとき、もっともっと生きやすくなるように思います。