w'ANDのつれづれノート

w'AND illustration代表の佐藤祐輔が考える絵のこと、仕事のこと、社会のこと・・・そんなことを日々つづっていきます。

理不尽さとともに生きる〜東日本大震災から2年目に思うこと〜

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

もう間もなく、東日本大震災から丸2年になりますね。
そろそろあの地震があったことを忘れた方もいることでしょう。

 

私は東日本大震災の被災者です。

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当時、私は仙台に住んでおり、職場であの地震を体験しました。

震度6弱という強烈な揺れは人生で初めて。すぐにデスクの下に隠れたのですが、重たいレーザープリンターが目の前に飛んでくる、という恐怖体験をしました。もう生きた心地がせず、半ばパニックになっていたようにも記憶しています(※だいぶ回復してきていますが、実は一部記憶の欠落がのこっています)。

地震の影響で東北新幹線は1ヶ月間不通。仙台市内でも2〜3日程度の停電と1ヶ月程度のガス停止。地震直後の数週間は物流が滞り、政令指定都市であるにも関わらず、食糧やガソリンが不足するという未曾有の事態に陥りました。
幸い、親戚や友人に死者はありませんでしたが、沿岸部でカキの養殖業を営んでいた母方の実家は津波にのまれてしまいました。祖母らはいまだ仮設住宅暮らしです。

 

この地震の体験から私が学んだことは“人生は不平等で理不尽だ”ということです。
そして“それでも我々は生きていかなければならない”ということです。

 

“ライフ オブ パイ”と“ヨブ記”

Bibleible / Savio Sebastian

先日、“ライフ オブ パイ”という映画を観てきました。

インドで暮らす少年パイが、家業の事情でカナダに引っ越すことになります。家では動物園を経営していたため、貨物には動物たちも積み込んでいます。インドを出発してマニラを経由、太平洋に出たとき、大嵐に遭遇。嵐のために船は沈んでしまいます。かろうじて救命ボートに乗ることができたパイでしたが、そのボートには船に積み込んでいた獰猛な虎も一緒に乗り込んでいたのでした。
227日間にもおよぶ漂流生活を送ることになるパイと虎。獰猛な虎であるにも関わらず、パイはなぜ生き残ることができたのか?

こんなあらすじの映画です。

この映画を、私は旧約聖書の“ヨブ記”のようだと感じました。
“ヨブ記”とはどんな苦難にあっても信仰を捨てなかった男ヨブの物語です。

ヨブは信仰が厚く、子宝にも財産にも恵まれた祝福された男でした。ある日、神の前にサタンが現れ、ヨブの信仰を試すよう、そそのかします。神はその挑発にのり、ヨブから財産を奪ったり、最愛の者を奪ったりします。それでも信仰を捨てないヨブを、サタンは皮膚病にかからせます。友人たちはヨブに何か悪いことでもしたのではないかと問いかけますが、高潔なヨブには心当たりがなく、反発します。
ついに神はヨブに語りかけます。最終的に神はヨブの義を認め、以前にもまして豊かな財を与え、140歳まで生き、天寿をまっとうします。

ヨブ記は旧約聖書の中でも難解な書であるとされています。
たしかにヨブは最終的にその信仰の厚さを認められて祝福されます。しかし、そもそも神がヨブに試練を与えたのはサタンとの賭けのためでした。
ここから、ヨブ記を「人生は理不尽な出来事に満ちあふれているが、それでもすべてを受け入れ、信仰を失ってはならない」というメッセージが読み取れます。

※ヨブ記の詳しい解釈はこちらをご参考になさってください。
ヨブ物語 01 「ヨブ記とはどのような書か」

 

“ライフ オブ パイ”の一番の見所は「パイが逃げ場のない救命ボートの上で獰猛な虎といかに共存したか?」という部分につきます。
しかし、パイが227日間もの漂流生活に至ったのは因果応報でもなんでもなく、ただの偶然にすぎません。そう考えると、パイが突然そんな試練に放り出されてしまったのは、極めて理不尽なことだとも言えます。

 

人生は理不尽

Tsunami aftermathTsunami aftermath / Official U.S. Navy Imagery

私は“人生は不平等で理不尽なものだ”と考えています。
2011年3月11日の東日本大震災で被災して、その考えをいっそう強くしました。

幸い、私自身は部屋がめちゃくちゃになった程度で済みました。
一方で、祖母は津波で家を流されてしまいました。
死者はなかったものの、怪我をしたり仕事を失った親戚がいます。
津波にのまれながらなんとか生きのびた友人もいます。

もしあの地震が因果応報の結果であるとしたら、私の祖母や友人らにはどんな罪があったのでしょうか?
私の祖母はごくごく素朴に暮らしていた養殖業者です。頑固な祖父と結婚し、戦後のモノが少ない時代に5人の子どもを育て上げました。唯一悪いことといえば、夫の頑固さ加減にうんざりして一度家を飛び出したことくらいですが、それで家まで奪われるいわれはありません。

だから、私自身はあの地震を「極めて理不尽なできごと」と受け止めています。
その後の原発事故などまで含めて「奢った人類への警鐘」ととらえる方もいらっしゃいます。
が、私は「意味などなく、ただとても理不尽な出来事がおこった」と考えています。
もちろん、地震によって防災意識の高まりや市民の政治意識の高まりがあったことはたしかです。けれども、それらは結果にすぎず、地震そのものの意味ではない、と私は考えます。それはまるで、神がサタンとの賭けでヨブを不幸に陥れたかのようです。

 

それでも生きていく

oh nooh no / gagilas

幸いなことに、私はまだ生きています。
それは「地震があった」ということと同じくらい、たしかな事実です。
※「生きている」ということそのものに対する疑義もあるでしょうけれど、それは今回は考えないことにします。

「人は皆、しあわせになるために生まれてくるんだよ」
そんなことばをあちこちで目にします。
そのように考えることで救われる方がたくさんいらっしゃることは、私も知っています。
けれど、その言葉そのものをこころから支持することは、私にはできません。
人が皆しあわせになるために生まれてきたのなら、なぜあの地震でなんの罪もない2万人近くの人たちが犠牲になったのですか?

 

私たちの目の前にあるのは、生と死というきわめてシビアな現実です。
その現実を直視せずにキラキラと上辺を飾ったことばにすがっても意味はないと、私は考えます。その上で、自分にとってのしあわせとはなんだろうかと、考えていかなければいけません。

そのシビアな現実のなかで生きていく、と私はあの地震のあとにこころに決めました。