w'ANDのつれづれノート

w'AND illustration代表の佐藤祐輔が考える絵のこと、仕事のこと、社会のこと・・・そんなことを日々つづっていきます。

ブレーキは安心してアクセルを踏み込むためにある

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

先日、ファーストヴィレッジ株式会社さんが主催する経営者向けセミナーに参加してきました。ファーストヴィレッジさんの社長である市村洋文さんを含め、4社の代表の方が講演をされました。

市村社長は学生時代、学生向けスキーツアーを企画、4年間で60億の売上げをあげる、という学生起業家のはしりでした。大学卒業後は野村証券で預かり資産を20億から2000億まで増やすなど、敏腕を振るわれました。その手腕を見込まれ、厳しい経営状態が続いていたKOBE証券にスカウトされ、数年で上場を果たします。その後、KOBE証券を退職され、2007年にファーストヴィレッジを設立されました。

市村社長の講演の中でとても印象的な言葉があったのでご紹介します。

 

ブレーキは止まるためにあるのではない。「いつでも止まれる」という安心感をもってアクセルを思い切り踏み込むためにあるのだ。

 

IMGP1354IMGP1354 / takot

 

これは、“企業はコンプライアンス(法令遵守)を徹底すべきである”という話の中で語られた言葉でした。

民間企業はその理念がどうあれ、利益をあげなければ存続できません。
ですから、利益をあげるためにそれこそ「アクセル全開で」事業を推進していきたいところでしょう。
だからといって、利益のためにはなにをしてもいいか、というとそうではありません。
その歯止めとなるのが法律です。
企業として、あるいは人としてやってはいけない最低限のラインがある。
それを、コンプライアンスという形で守るのです。
逆にいえば、その歯止めがあるからこそ、アクセルをどこまで踏み込んで良いかも分かるのです。

 

ただ、残念ながらその歯止めがきかなかった例も多々あります。
たとえば2011年に発覚したオリンパスの不正会計事件、2012年に特別背任罪が確定した大王製紙の前会長の職権乱用事件などです。

 

たしかにブレーキがあればいつでもとまれる、と思えるでしょう。
けれども、そのブレーキがきかなかったり、あえてブレーキの存在を無視してしまったり、そうなってしまったら、オリンパス大王製紙のような事件に発展してしまうのです。
だからこそ、コンプライアンスは大事にしなければなりません。

 

コンプライアンスもそうですが、仕事の仕方、とくに体調管理の面でもブレーキをきかせたいところです。

 

OverworkOverwork / Sandy Pirouzi

 

20代前半のころは深夜まで仕事をしていても、翌日早朝に出勤するくらいは平気でした。
けれど、身体はどうやっても年齢と共に衰えてきます。
かつて平気でできた徹夜仕事もできなくなってきています。
無理をすることは可能ですが、無理が続けば将来的に支障をきたすことになるでしょう。
長く仕事を続けたい、と思ったら極端な無理はしないようにする必要があります。
そういう意味でも、体調管理のために自分にブレーキをかける必要があるのです。
これは「ながく安心してアクセルを踏み続けるためのブレーキ」ですね。

 

ブレーキは止まるためにあるのではない。「いつでも止まれる」という安心感をもってアクセルを思い切り踏み込むためにあるのだ。

この言葉、角度を変えて捉え直すといろいろな発見があるかもしれません。

スヌーズレンとアートが拓く可能性

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

“日常におけるアートの役割と効果”の中で、建築医療という学問分野をご紹介しました。クリニックの建築物、その外装や内装そのものが治療効果に影響を及ぼす、という考え方です。
これと似た考え方に“スヌーズレン”というものがあります。

 

playroomplayroom / surlygirl

 

スヌーズレン (Snoezelen) とは、重度知的障害者を魅了する感覚刺激空間を用いて彼らにとって最適な余暇やリラクゼーション活動を提供する実践であり、またそのプロセスを通して構築されてきた理念でもある。
スヌーズレンという用語は、オランダ語で「クンクン匂いを嗅ぐ」、「うとうとする」という用語を組み合わせた造語で、外界を探索することや心地よくまどろむ状態を示すものである。
スヌーズレンの実践とは、障害を持つ人々(スヌーズレン利用者)にとって受け取りやすい感覚刺激に満たされた物理的環境、そして利用者と支援者が楽しみや安らぎを共有できる雰囲気のなかで、利用者が自分にとって意味のある活動に携わることである。
この実践は、1970年代、オランダにて始まったが、現在ではヨーロッパを中心に全世界へ広がってきており、日本においても重症心身障害児・者施設や知的障害児・者施設を中心に試みられつつある。
Wikipedia「スヌーズレン」より)

 

“建築医療”と“スヌーズレン”はまったく同じ概念ではありません。
建築医療では建築物そのものが治療効果に影響を及ぼす、と考えますが、スヌーズレンでは感覚刺激に満たされた物理的環境や雰囲気を用意してリラクゼーション効果をもたらす、と考えます。建築医療が建築物内での活動を想定しているのに対し、スヌーズレンは必ずしも屋内での活動に限定されません(スヌーズレン効果のある部屋をスヌーズレン・ルームと呼ぶようです)。

 

スヌーズレンの実践に取り組んでおられる、姫路獨協大学の教授、太田篤志先生という方がいらっしゃいます。
こちらのページにスヌーズレン・ルームの例が写真で掲載されています。
こちらをみると、さまざまな色の光が飛び交い、鏡が置かれ、不思議な形状のおもちゃが置かれています。
それらがもたらす感覚的な刺激が、こころと身体を楽しませ、「緊張がほぐれる」「穏やかになる」「積極的になる」といった療法的効果も報告されているそうです。
しかし、日本ではこうした効果が十分に浸透しているとは言えない状況なのだそうです。

 

「新しい感覚的刺激」を創り出すことは、アーティストがもっとも得意とするところと考えています。
色、光、形、素材、造形の組み合わせ・・・アーティストの中には、こうした実験的な取り組みをおこなっている方も多いでしょう。
ですから、このスヌーズレンの話を聞いたとき、アートとの親和性の良さを感じたのです。

 

dark candledark candle / Wim Vandenbussche

 

宮城県大崎市“感覚ミュージアム”という施設があります。
私自身、2度ほど行ったことがあるのですが、一般的な美術館や博物館と違い、展示されている作品を「見る」「聞く」「触る」「嗅ぐ」ことを通して体験していく形式をとっています。視覚だけでなく、聴覚・触覚・嗅覚を通して、様々な感覚を楽しんでいくことを目的としているのです。
スヌーズレンのように療法的効果を狙ったものではありませんが、その根底には同じ思想があるように感じます。
類似の体験ができる場所として、“ダイアログ・イン・ザ・ダーク”というものがあります。
これは完全な暗闇の中で、「暗闇のエキスパート」である全盲の方のナビゲーションの元、聴覚・触覚・嗅覚・味覚を最大限に活用して施設の中を進んでいく、というものです。
私も一度体験したことがありますが、視覚以外の感覚も想像以上に働いているのだな、ということを改めて実感してきました。

 

このように、アートにはまだまだたくさんの可能性があると、私は信じています。
ギャラリーや美術館におさまっているだけがアートではありません。
それはもっと、人の感覚の可能性を拓いていくものだと、私は思うのです。

 

関連記事:
参考リンク:

リスクをとる〜安いものには理由がある〜

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

昨年に初めてお会いしてからなにかとご縁のあるego factoryの阿部さんと打ち合わせをしてきました。

 

阿部さんは「a・priori」(アプリオリ)というフリーペーパーを発行しておられます。
フリーペーパーといっても、駅やお店のラックに設置されているようなものではありません。紙面にアーティストの手によるビジュアルアート作品を使った、「写真集」「作品集」に近いものです。一見すると市販の雑誌のようですが、あくまでもフリーペーパーです。
※各所美術館やギャラリーなどに設置されておりますが、すぐになくなってしまうそうです。

 

この阿部さんが、「a・priori」の次の展開として、今年の春に「aprioriWEB」を発足させます。
阿部さんをバックアップしておられるGallery Chordさんとの顔合わせも兼ね、いろいろとお話をうかがってきたのでした。

 

Artist in Action / Dumbo Arts Center: Art Under the Bridge Festival 2009 / 20090926.10D.54904.P1.L1.BW / SMLArtist in Action / Dumbo Arts Center: Art Under the Bridge Festival 2009 / 20090926.10D.54904.P1.L1.BW / SML / See-ming Lee 李思明 SML

 

「アートをビジネスとしてきちんと成立させる」というのが私の理念です。
その考え方は阿部さん、Gallery Chordさんとも共通していました。
“絵描きにもビジネス感覚が必要な理由”にも書いたように、良い絵を描いたからといって、それだけではお金にはなりません。


今現在の社会の仕組みでは、お金は何かしらの活動を継続していくのに必要なものです。だから、絵を続けていきたいと考えるならば、そこからいかにお金を得るか、ということもきちんと考える必要があるのです。
※もちろん、お金の必然性に関しては様々な意見があろうかと思いますが、“現段階では”お金がもっとも効率的な手段だと、私は考えています。

 

【aprioriWEB募集要項】をご覧いただくとお分かりかと思いますが、この活動に参加するには年会費が必要になります。
お金がかかる、ということで躊躇される方も多いでしょう。
けれど、私はそれで良いと思うのです。

 

イラストなどを無料で登録できるサイトがだいぶ増えてきました。
見ると、膨大な人数が登録されています。
無料で誰でも登録できる、という敷居の低さがうけたようです。

 

ところが、その実態をよくみてみると、極少数の優秀なイラストレーターさんとその他大勢、というように二極化しているようです。
売れる方はますます目立ち、そうでない方はどんどん埋もれていく、という流れが出来上がっています。
こうした無料登録サイトで実際にビジネスになっている方はほんのわずかでしょう。
ビジネスを求めていない方にとってはそれで十分なのでしょうが、こうしたサイトをビジネスに結びつけようと思うととても難しいと思います。

 

対して、aprioriWEBでは登録費用がかかります。
それはリスクをとることと同じです。
登録費用が確実に回収できるとは限らない、というリスクです。
けれども、登録費用はaprioriの営業活動などに使われるため、費用回収の確率は格段に高まります。
無料登録サイトは場を提供するだけですから、費用を負担するというリスクはありませんが、ビジネスにつながる確率は大幅に低下します。

 

無料であることにも、有料であることにも、それぞれ理由があるのです。
安ければいいというものでもないし、高ければいいというものでもない。
お金を払うことによって得られる効果が自分にとって価値あるものなのかどうか、を判断する目が必要になるのです。

“顧客におびえる日本人〜お客様は神様じゃない〜”に書いたLCCの例が分かりやすいでしょう。LCCは格安で飛行機を利用できるサービスですが、オペレーション効率化のため、欠航や遅延のリスクが通常の航空会社よりも格段に高くなっています。

 

Taking a test at the Real Estate Investing CollegeTaking a test at the Real Estate Investing College / Casey Serin

 

ビジネスの基本は「投資と回収」と私は考えています。
小売店がその典型です。
商品を仕入れ(=投資)、付加価値をつけて販売する(=回収)という流れにのせることで収益を上げていきます。
仕入れ、つまり投資をしなければ、そもそも利益を得ることはできません。

 

リスクをとる、ということはビジネスに対して本気で取り組む姿勢がある、ということです。利益だけを求めてリスクを負わなければ、結局のところ、利益を得ることはできないでしょう。

“与沢翼氏と絵描きとしての矜持”で書いたように、与沢氏は短期間で利益をあげるため、はじめに5,000万円の損失を被るリスクを負っています。与沢氏には勝算があったのでしょうが、一般の人にとっては5,000万円の損失を被るリスクはなかなか負えません。

※もちろんリスクをとるにしても、なるべくリスクを小さくしたいものです。そのために様々なリスク回避の手法が考え出されていますが、それはまた別の話。 

 

現代の資本主義の仕組みには様々な議論がありますが、少なくとも現段階では、利益を得るにはそれに見合ったリスクを負う必要があるのです。

長財布とお金のキモチ(あるいは付喪神)

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

先日、長財布を買いました。
革製で、深い緑のものです。
もともと、事業用に通帳が入るものを、と探していたのですが、なかなか「これ!」というものに出会えませんでした。

 

法事で新宿に出ることになったため、帰りに高島屋にふらっと寄りました。
特に何かを買う目的ではなく、どんなものがどこにあるのか、を見にいくためでした。

 

そこで目についたのがこの財布です。

大きな出費のようにも感じてしまい、なかなか踏ん切りがつかずにいたのですが、えいやっ、と買うことにしました。

 

これまで長財布をもったことがありませんでした。
大きいのでかさばる、という思い込みがあったからだと思っています。
が、実際に使ってみるとむしろ二つ折り財布の方が、厚みが出る分かさばることに気づきました。

 

この財布を使い始めてようやく10日ですが、すっかり気に入りました。

MoneyMoney / 401(K) 2013

さて、この財布にお金を入れてみて、ふと気づいたことがあります。
なんとも奇妙な感覚なのですが、「お金が気持ち良さそうにしている」と感じたのです。
お札が折り曲げられずにいると、不思議なことに、お金がのびのびとしているように見えるのです。

 

お金持ちは、例外なく長財布を使っている。なぜなら、お金持ちはお金をもてなしたいというマインドを持っているからだ。お金をもてなすには、お金が居心地のいい空間を提供しなくてはならない。それには、お金が思い切り手足を伸ばせる長財布が最適なのだ。お財布は、お金のホテル。ホテルの居心地がよければ、お金は仲間を連れてリピートしてくれる。
(参考:「年収は、なぜ「使う財布の値段」の200倍になるか?」2013年2月4日)


以前ご紹介した記事のなかに、こんな記述がありました。
「お金が思い切り手足を伸ばせる」なんて馬鹿げたことを、とこの記事を読んだときは思ったものでした。
ところが、いざ長財布を使ってみると、たしかに財布の中でお金がのびのびしているように思えたのです。

 

この感覚が意味するところはなんだろうか、と考えています。
もしかしたら単純に「お札が折り曲げられずに伸びている=のびのびしている」という連想かもしれません。
あるいは、折り目のついていないお札がきれいに見える気持ちよさかもしれません。

 

日本の民間信仰に付喪神という考え方があります。
長い年月を経て古くなった物や長生きした動物には特別な神や霊魂が宿る、という考え方です。
私個人としては「お金というものは価値交換のための道具」、あくまで紙幣や硬貨という物質としてみています。しかし、私の手に届くまでにたくさんの人の手を経てやってくる、ということを考えると、その過程で様々な思いが宿ってもそれほどおかしな話でもないように思います。
もしかしたら、お金もある種、付喪神のようなものになっている、なんてこともあるのかもしれませんね。

 

いろんな考え方があると思いますが、自分自身としては、「本来、感情や感覚をもたない物質がなにかを感じているように思える」という感覚は、自分がその物質に対して抱いている感情・感覚の投影と考えます。

だから、「お金が気持ちいいと感じている」と感じたのは、もしかしたらお金に対する自分のネガティブなイメージがだいぶなくなってきた、ととらえることもできるかもしれません。

【震災関連】世界がひっくり返った日〜東日本大震災回想〜

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

今回は東日本大震災当日に起こったことを記します。
なかにはあの日のことを思い出すのも辛い方もいらっしゃるでしょう。
もし辛いと感じられたら、どうぞこのウィンドウを閉じてください。

 

こうしてあの日のことを書き記すのは、私自身のリハビリでもあります。
地震から1年半近く、自分が軽いPTSDになっていることに無自覚でした。
小さな地震でも身体が硬直したり、心臓が飛び上がったり。
そうした反応が「怖い」という感情と「理不尽だ」という思いに原因があることが、地震から1年半以上経ったある日、カウンセリングのセッションで気づいたのです。
そのときに、記憶の欠落があることにも気づきました。

 

あの日の出来事を思い出すこと、それをあらためて受け止め直すことが、この先に進んでいくための最良の方法であると思っています。

 

津波被害に遭われた方ほどの苛烈な経験ではないかもしれません。
が、これは直接、東日本大震災を体験した人間の記録です。
もしかしたらなにか、お役にたつこともあるかもしれません。

 

いまからちょうど2年前、14時46分に東日本大震災が発生しました。
マグニチュード9.0というかつてない規模の地震。
広い範囲で強い揺れが観測されたとともに、過去最大級の津波が東北地方沿岸部を襲いました。
その影響で福島第一原発が爆発、放射性物質の飛散という事態にまで発展しました。
そのとき、私は仙台に住んでおり、この地震を直接体験しました。

 

地震からおよそ3ヶ月後の6月末に、私は仙台から東京に引っ越しました。
こちらにいると、地震があったことがうそのようです。
もしかしたら、多くの人が「地震は過去のこと」と思っているのかもしれません。
けれど、現実的には被災地の復興活動は進んでおらず、処理しきれないがれきが山積みになり、家の建て替えも進まず仮設住宅暮らしの方も多いようです。

 

この未曾有の地震でさえ、おそらくいつかは忘れられていくでしょう。
それでも、この地震を体験した者として、なにか残しておけるものはあると思うのです。
ですから、私自身の体験を、ここに残しておきたいと思います。

 

2011.03.11 日常の始まり

2011年の3月11日は金曜日でした。
週末を利用して東京にいく予定で、着替えやら何やらを入れたスーツケースをもって職場にいきました。
混み合ったバスにスーツケースを持ち込むのはなんだか申し訳ない気持ちもありましたが。
バスは青葉山にある東北大学の工学部キャンパスに向かいます。
職場に着いたのは7時40分。
いつもと変わらない一日の始まり、のはずでした。

 

メールをチェックすると、共同研究をやっている企業の方からいくつかメールがありました。
3月9日にあった地震を心配してのことです。
3月9日の地震はマグニチュード7.3、最大震度5弱の大きな地震でした。
幸い、この地震で大きな被害はなく、いただいたメールに感謝の旨、返信したのでした。

 

普段は会議が詰まっていることが多かったのですが、この日はとりたてて会議もありませんでした。
さほど作業も忙しくなく、定時になったらさっさと新幹線にのってそのまま東京に行くつもりでした。

 

2011.03.11 14時46分

ゆらゆらと揺れが始まりました。
なんとなく嫌な感じの揺れでしたが、3月9日にも地震があったため、また同じようにおさまるだろうと椅子に座っていました。
しかし、揺れはなかなかおさまりません。むしろ、大きくなっていくように感じます。
なにかおかしいな、と思った瞬間、強烈な横揺れがやってきました。
椅子に座っていられないほどの強い揺れ。デスクに手をかけて支えようにも、デスク自体が動いてしまうので支えにもなりません。

「机の下に潜ってください!」

職場の誰かが叫びました。もう立っていられないほどの揺れです。
なんとかデスクの下に潜り込むと、パソコンやディスプレイが落ちる音があちこちから聞こえてきました。
重たいレーザープリンターが目の前に転がってきたのもこのときです。
あのまま椅子に座っていたら直撃したであろう場所に転がってきました。
デスクに潜っていなかったらけがをしていただろうと思うと、いまでもぞっとします。

 

揺れは2度、やってきました。
1度めの揺れがおさまってデスクからはい出し、避難しようとしたときです。
1度めほどの強さではありませんでしたが、なかなか揺れがおさまらないことに強い不安を感じた人も多かったでしょう。
職場のところどころから、すすり泣きのような声が聞こえました。

 

大きな揺れは賞味1分〜2分くらいだったと記憶しています。
数字にしてしまうと短い時間ですが、実際にその揺れのなかにいると、とても長い時間のように感じました。

 

デスクからはい出してみると部屋の中はめちゃくちゃになっていました。
パソコンやディスプレイは倒れてあちこちに散乱。デスクの配置もぐちゃぐちゃに。
幸い、当時の仕事部屋には本棚がなかったため、大型の本の落下などはありませんでした。
2つあった冷蔵庫が倒れていたようにも思いますが、記憶が定かではありません。

 

「みなさん、とりあえず避難しましょう」
そう言ったのは当時の准教さんです。普段からマイペースな方でしたが、ここでもそのマイペースっぷりが発揮されていました。
この惨状を目の前にして呆然としながらも、とにかく避難しなければなりません。
ここで自分の携帯電話がどこかにいってしまっていることに気づきました。
そこで恐怖感が押し寄せてきました。この大災害にあって、連絡手段が絶たれてしまうのは致命的と感じたのです。
その恐怖心に一瞬パニックになりかけました。が、件の准教さんに声をかけてもらい、ひとまず避難することになったのです。

 

2011.03.11 緊急避難

いつもやっている避難訓練通り、支給されているヘルメットをかぶり、非常階段を通って外にでました。
外ではすでに建物から避難してきた人たちが多数集まり点呼をとっている最中でした。
その間にも余震は続いています。
ワンセグ放送でニュースをチェックしている人に画面をのぞかせてもらいました。
どうやら“とんでもない出来事”が起こったようです。けれど、その全容はその場でははっきりしないままでした。
わかったのは「これまでにない巨大な地震が起こった」ということだけ。

 

点呼が終わり、一通りの安全確認ができたところで帰宅の指示がでました。
なんにせよこのままいても仕事にはならないし、なにより危ないからです。
それに、土日が明ければまたもとどおりになっているだろう、と楽観的に考えていたのもありました。
いったん仕事場に戻ってスーツケースを持ち出しました。紛失したと思っていた携帯電話は落ちた紙の資料に紛れていました。これで連絡手段も確保できます。
そしてそのまま仙台駅に向かうつもりでした。

 

どうやらバスは動いていなさそうです。
しかたなく徒歩で帰宅することに。
同じ方面の同僚と一緒に、青葉山をくだる道を歩き始めました。

 

帰宅途上、研究棟のところどころから小さな爆発音が聞こえてきました。
何かが焦げるような臭い、火薬の臭いがかすかに漂ってきます。
揺れの影響で混ぜてはいけない薬品が混ざったり、大型の実験装置が壊れたりしたのでしょう。
大勢の人たちが不安げに歩いている中を、私も歩いていきました。

 

キャンパス内の道のあちこちが盛り上がったり陥没したりしていまいた。
壁が崩れたり、フェンスがゆがんでいたりもしています。
なかには傾いた研究棟もありました。
車はほとんど走っておらず、マスコミか自衛隊のものであろうヘリコプターが飛び交い始めていました。
不穏な空気は感じていました。
けれど、やはり週明けにはまた元通りになっているだろう、という思いがこの段階では強かったと思います。
同僚と笑い話をしながら、家まで歩いていきました。

 

2011.03.11 帰宅

青葉山をくだり、広瀬側を渡る大橋を通るころ、なにかがおかしいと感じ始めました。
歩いている人が非常に多いのです。道路いっぱいに人が歩いています。
工学部という性質上、危険な薬品や設備があるために避難指示が出たのだとばかり思っていたのですが、どうやらその程度で済む話ではなさそうです。
大橋の途中でたまたま友人に出くわしたので話を聞いたところ、どうやらとんでもないことになっているらしい、ということがおぼろげながらに実感されてきました。

 

ちょうどそのとき、しめった雪が吹雪のように降り始めました。
目の前が見えなくなるくらいの強さです。
私はそこから家が近かったのでよかったのですが、同僚はそこからさらに歩かねばならず、大変な思いをしたことでしょう。

 

当時住んでいたマンションにたどり着くと、大勢の人たちが外にでていました。
マンションの壁面がところどころはがれおちて、コンクリートの破片がそこらじゅうに散らばっていました。
エントランスに入るとエレベーターは停止中、ここで初めて停電していることに気づきます。
しかたなしにスーツケースを抱えて10階にある自室まで階段で上りました。

 

部屋に入るとひどい状態になっていました。
棚が倒れて部屋に通じる入り口が塞がれており、それを乗り越えるのに一苦労した記憶があります。
電気はすべて停止。水道も確認しましたが、水もでません。
このままここにいても、また揺れがくるおそれがあるので、いったん外に出て、仙台駅の様子を見に行くことにしました。
本来ならばこのまま新幹線に乗って東京にいくつもりだったのです。
それをどうしたらいいのか、判断する必要もありました。

 

2011.03.11 変わり果てた光景

仙台駅に向かう道はずいぶんと変わり果てていました。
コンビニや飲食店はほとんどが閉店、普段ならば活気のある時間帯のはずが、人の気配すらありません。
あちこちのビルから看板が落ち、ガラス窓が落ちているところもありました。
いろいろなものが落下し散乱している道路は、まったく見慣れない変わり果てた姿で、ことの重大さがだんだんと見に染みてきました。

 

その間にも余震は続いています。
歩いていても感じるくらいの余震が何度も何度も繰り返しやってきます。
その度毎に心臓がどきどきと高鳴り、身体が緊張しました。

 

駅へ向かう途中、アーケード街を通ることもできたのですが、天井が落下してくる危険性もあるために避けました。
地下道も同じ理由で避けて通りました。

 

歩いておよそ30分、空が暗くなり始めたころに仙台駅に到着しました。
周辺には人だかりができています。
スーツ姿の人も多数みかけたので、職場から避難してきた人たちが電車に乗って帰ろうとしていたのでしょう。
なかにはおそらく、仙台に出張してきた人たちもあったはずです。
にしても、なぜこんなに人が駅周辺にいるのかよく分かりませんでした。
いずれにせよ、駅に入れば状況くらいはわかるだろう、と。

 

しかし、仙台駅は封鎖されていました。
入り口の扉はすべて閉じられ、中に入ることができません。
電車をあてにしてきた人たちが移動手段をなくして、駅の周りにたまっていたのです。
在来線はすべて停止、新幹線も止まっています。
駅員さんに聞いたところ、新幹線の再開は1ヶ月ほど先ではないか、とのこと。

再開まで1ヶ月?

新幹線が1ヶ月も止まるなんて、現実味のない話に聞こえました。けれど、現実に新幹線が再開したのは1ヶ月後の4月でした。

 

2011.03.11 不穏な空気

仙台駅周辺はぴりぴりした空気に包まれていました。
地元の人たちだけでなく、たまたま出張で仙台にきていたひとたちもいます。
土地勘のないところでこんな大災害にあったのだから、不安も緊張も人一倍と思います。
あちこちから怒鳴り声や喧嘩の声が聞こえてきました。
日が落ちて暗くなってきています。
停電のおかげで信号はとまり、街灯もほとんどついていません。
このまま暗くなったら、何が起こるかわかりません。
少なくとも、自分の身の安全は確保する必要があります。
とにかく今日はいったん引き上げて、この後のことは明日考えることにしました。

 

実は、仙台駅から家に戻るまでの間の記憶が一部欠落しています。
暗い夜道を歩いて戻ったのは確かなのですが、どうしても思い出せないのが「どこで現金を確保したのか」というところ。
おそらくこの状況ではクレジットカードは機能しない、とにかく現金を手に入れるべきだ、と判断したのは覚えています。が、停電でATMも止まっているはず、どうして現金を手にしたのか、覚えていないのです。
※銀行からおろしたのはたしかです。後日確認したところ、たしかに引き出した記録が残っていましたから。

 

いずれにせよ、現金を確保した後、家に戻ります。
途中、最寄りの避難所(小学校の校舎でした)の様子を見に行ったのですが、続々人が集まってきており、とても入れる余地はなさそうでした。
部屋はめちゃくちゃになってしまったけれども、マンション自体が崩れているわけでもなし、危険なのはどこも同じだろうと判断し、部屋に戻って夜を明かすことにしました。

 

2011.03.11 一日の終わり

外はすっかり夜になっています。
停電のため、街には明かりがほとんどありません。
ところどころ見える明かりは、非常用電源か自家発電装置のものでしょう。
もしかしたらたき火の明かりかもしれません。
こんなに暗い夜は山にキャンプにいったときくらいしか記憶にありません。
それほどに、非現実的な光景でした。

 

救助に向かうであろうヘリコプターの音があちこちから聞こえてきます。
いつもは車の音が聞こえてくる外からは、ヘリの音以外聞こえてきません。
携帯電話であちらこちらに安否の連絡を入れながら、私の3月11日は終わっていったのでした。

夢を語る

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

私の理想は「絵を描くことがビジネスとしてきちんと成り立つこと」です。
絵がビジネスとしてきちんと成り立つようになれば、日本のアート文化が発展すると考えるからです。

 

dream, interrupteddream, interrupted / Robert Couse-Baker

 

友人の絵描きたちのなかには絵をうまく売ることができずにいるのが少なからずいます。
なかには資金繰りに苦しみ、絵を描くことをやめてしまった友人もいます。
たとえどんなに良い絵を描いていても、それがお金にならなければ生活に行き詰まり、絵をやめざるをえなくなってしまいます。
これは文化的な損失といわざるをえません。

 

「絵描きとしての成功」といわれたとき、どんな状態を思い浮かべるでしょうか。
一般的には、たくさんの賞を受賞し、有名になり、画集をたくさん出版し、お金をたくさん得る、というところだと思います。
もちろん、それを目指して日々がんばることはとても良いことだと思います。
が、本当に成功とはそれだけなのでしょうか。

 

私自身は、まず絵描きが自分の生活を自分で成り立たせることから始めるべきだと思っています。
自分の生活基盤が安定すれば、少なくとも絵は続けていくことができる。
生活ができなくなってやめてしまう、という損失は防ぐことができるのです。

 

2月後半から、なるべくたくさんの人に会ってお話しをするようにしています。
それも企業の経営者の方など、ビジネスの世界に身をおいていらっしゃる方々です。
そうした方々に、私の理想である「絵を描くことがビジネスとしてきちんと成り立つこと」をお話しさせていただいています。
“絵描きにもビジネス感覚が必要な理由”にも書いた通り、アートとビジネスはなかなか結びつけて考えられることがありません。
けれど、「収益をあげて自分の生活基盤を安定させる」という観点からすると、ビジネスという視点で絵描きの活動を見る必要がどうしてもあるのです。
ですから、ビジネスの現場にいる方々に、自分の思いを語る必要があるのです。
語らなければ、その思いはないも同然だからです。

 

仙台にいたころ、とあるギャラリーのオーナーさんにとてもお世話になりました。
その方の言葉がいまだに印象に残っています。

 

10の夢を語ってひとつでも実現すれば、そんなにいいことはないじゃないか。
だって、夢を語るのはタダだもの。

 

このオーナーさんも、「絵描きが自らの生活基盤を自分で安定させること」をとても重要視していました。
その思いが、w'ANDの事業を続けていくにあたって支えになっているようにも思います。

豊かな色彩に満ちた世界

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

私の絵の中から一枚、ご紹介します。

 

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"Meet You"というタイトルの絵です。
セラピールームすずき様で昨年、レンタルしていただきました。
その一部を拡大したものが下の画像です。

 

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ちいさくちょこんといる“ひつゅじ”を拡大したものです。
“ひつゅじ”の左下がちょうど影の部分にあたりますが、影を複数の色で表現しているのがお分かりでしょうか。
ピンク、紫、青緑、水色を重ねて、このような色を出しています。

 

“影“というと、多くの人が黒を思い浮かべるでしょう。
本当にそうでしょうか?

 

高校生の頃、美術の先生がこんなことを言っていました。

「よく観察してみなさい。影が黒だと思い込んでいるなら、その思い込みをなくして、自分の目で見たものを信じなさい。それはいったいどんな色にみえるか?思った色ではなく、見えた色を描きなさい」

最初、何を言っているのかよく分かりませんでした。
影は黒に決まってるじゃないか、と。

 

ところがあるとき、影が黒以外の色で見えるようになりました。
具体的にどう、と説明できないのがもどかしいのですが、たしかにそこには、様々な色が混ざり合っていたのです。

 

ルノワールという画家をご存知でしょうか。
上野の国立西洋美術館にも作品が何点か収蔵されています。
そのなかに“帽子の女”という作品があります。
白い服に帽子をかぶった女性が椅子に座っている絵です。この服の色合いをみると、たしかに白ではあるのですが、青、紫、黄色、茶色といった様々な色がこの服の陰影を表現するのに使われています。白い服だからといって、必ずしも白だけでできているわけではないのです。

 

こんなふうに見えるようになると、世界を見る目が一変します。
世界はなんと豊かな色彩に満ちていることか、と。
葉っぱは緑、土は茶色、道路はグレー、顔は肌色、と思い込んでいるけれども、実はそうではなかった。
その思い込みが、世界の豊かさを見えなくしていたのだと、気づいたのです。

 

思い込みをはずして、ありのまま、目にうつるままの世界を眺めてみましょう。
どんな世界が、目にうつるでしょうか。