w'ANDのつれづれノート

w'AND illustration代表の佐藤祐輔が考える絵のこと、仕事のこと、社会のこと・・・そんなことを日々つづっていきます。

長財布とお金のキモチ(あるいは付喪神)

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

先日、長財布を買いました。
革製で、深い緑のものです。
もともと、事業用に通帳が入るものを、と探していたのですが、なかなか「これ!」というものに出会えませんでした。

 

法事で新宿に出ることになったため、帰りに高島屋にふらっと寄りました。
特に何かを買う目的ではなく、どんなものがどこにあるのか、を見にいくためでした。

 

そこで目についたのがこの財布です。

大きな出費のようにも感じてしまい、なかなか踏ん切りがつかずにいたのですが、えいやっ、と買うことにしました。

 

これまで長財布をもったことがありませんでした。
大きいのでかさばる、という思い込みがあったからだと思っています。
が、実際に使ってみるとむしろ二つ折り財布の方が、厚みが出る分かさばることに気づきました。

 

この財布を使い始めてようやく10日ですが、すっかり気に入りました。

MoneyMoney / 401(K) 2013

さて、この財布にお金を入れてみて、ふと気づいたことがあります。
なんとも奇妙な感覚なのですが、「お金が気持ち良さそうにしている」と感じたのです。
お札が折り曲げられずにいると、不思議なことに、お金がのびのびとしているように見えるのです。

 

お金持ちは、例外なく長財布を使っている。なぜなら、お金持ちはお金をもてなしたいというマインドを持っているからだ。お金をもてなすには、お金が居心地のいい空間を提供しなくてはならない。それには、お金が思い切り手足を伸ばせる長財布が最適なのだ。お財布は、お金のホテル。ホテルの居心地がよければ、お金は仲間を連れてリピートしてくれる。
(参考:「年収は、なぜ「使う財布の値段」の200倍になるか?」2013年2月4日)


以前ご紹介した記事のなかに、こんな記述がありました。
「お金が思い切り手足を伸ばせる」なんて馬鹿げたことを、とこの記事を読んだときは思ったものでした。
ところが、いざ長財布を使ってみると、たしかに財布の中でお金がのびのびしているように思えたのです。

 

この感覚が意味するところはなんだろうか、と考えています。
もしかしたら単純に「お札が折り曲げられずに伸びている=のびのびしている」という連想かもしれません。
あるいは、折り目のついていないお札がきれいに見える気持ちよさかもしれません。

 

日本の民間信仰に付喪神という考え方があります。
長い年月を経て古くなった物や長生きした動物には特別な神や霊魂が宿る、という考え方です。
私個人としては「お金というものは価値交換のための道具」、あくまで紙幣や硬貨という物質としてみています。しかし、私の手に届くまでにたくさんの人の手を経てやってくる、ということを考えると、その過程で様々な思いが宿ってもそれほどおかしな話でもないように思います。
もしかしたら、お金もある種、付喪神のようなものになっている、なんてこともあるのかもしれませんね。

 

いろんな考え方があると思いますが、自分自身としては、「本来、感情や感覚をもたない物質がなにかを感じているように思える」という感覚は、自分がその物質に対して抱いている感情・感覚の投影と考えます。

だから、「お金が気持ちいいと感じている」と感じたのは、もしかしたらお金に対する自分のネガティブなイメージがだいぶなくなってきた、ととらえることもできるかもしれません。