w'ANDのつれづれノート

w'AND illustration代表の佐藤祐輔が考える絵のこと、仕事のこと、社会のこと・・・そんなことを日々つづっていきます。

桜の小盆栽、あるいは可能性の総体

w'AND illustration代表の佐藤祐輔です。

 

先日、桜の小盆栽を購入しました。
丸ビルの植木屋さんで見かけ、ずっと気になっていたのです。
お目当ての桜はもう売れてしまっていましたが、なかなかかわいらしい枝振りの桜が手に入りました。

桜の小盆栽

花はもう終わってしまったので葉しかありませんが、これはこれで良いものです。
それに来年また咲きますしね。
来年の春の楽しみが増えました。

 

私は植物、とくに木に深い愛着があるようです。
植木を選ぶときも、一年草や蔓植物は選びません。小さくても構わないので木を選びます。
おそらく「育てる楽しみ」が木にはあるからなのでしょう。
小さな鉢に植えられている小さな木を見ると、それが大きく育っていく姿を想像します。
もちろん、山にはえているような大きな木になるには何十年もかかるでしょう。
それでも、そのように大きく育っていく“可能性”をイメージとして見ているのです。

 

 

今から4〜5年前のことです。
私がまだ仙台に住み、東北大学に勤めていた頃。

勤務先の東北大学工学研究科は青葉山にあります。
周りが山に囲まれ、キャンパスから少し離れるとうっそうとした森の中に入っていくことができます。
そんな木々を眺めていたある日、一本の木に目が止まりました。
正確に言うと、根が同じで太い幹が二本に分かれた、一見すると二本に見える一本の木です。

 

もともと根がひとつですから、本来は一本の幹になるはずでした。
それがなんらかの理由で二本の幹に分かれている。
私には、その木がふたつの可能性を同時に生きているように見えたのです。

 

手塚治虫の「八角形の館」という作品をごぞんじでしょうか。
Wikipediaによれば、このようなあらすじの漫画です。

進学するか漫画家になるか悩んでいた熊隆一の前に、不思議な老婆が現れ、コインを渡してその出目で将来を決めろと勧める。コインの出目は漫画家を示していたが、隆一は不安そうだった。それを見た老婆は、「もし漫画家でいることが嫌になったら、八角形の館に来い。そうすれば一度だけもうひとつの人生に変わることができる。ただし二度目は許されない」と言い残して消えた。漫画家になった隆一は多くの連載を抱える人気作家として成功したが、一度だけファンの好みを無視した作品を描き、それがきっかけで人気が落ちてしまう。漫画家に失望した隆一は八角形の館で人生を切り替えた。別の世界では隆一はボクサーになっていたが、ここでも意に添わない試合をする結果となり、ボクサーにも失望する。その時、隆一に破滅が訪れた。

漫画の主人公、隆一は漫画家かボクサーのいずれかの人生を生きます。
ところが、私の見た二本に幹が分かれた木は、隆一が漫画家の人生もボクサーの人生も、同時に生きているようなものとして見えたのです。

 

この見え方は自分にとって衝撃的でした。
おそらく、一本の幹になることもできたでしょう。もしかしたら二本に分かれることも可能性のひとつとして入っていたのかもしれません。
いずれにせよ、そうした様々な可能性が、この木には宿っていたのです。
二本の幹に分かれたことによって、この木は一本の幹になる可能性をなくしましたが、この先、どのように成長していくかは様々な可能性を秘めています。つまり、この木は“可能性の総体”としてそこに存在しているのです。

 

 

先日購入した桜の小盆栽を眺めていると、枝のあちこちから小さな芽が出ようとしています。これが葉になり、あるいは来年花を咲かせるもとになるのでしょうか。
そうした可能性をこの桜ももっています。
そして、たとえば30年後に大きく育つ可能性をイメージとして眺めながら、日々の世話をしていこうと思うのです。

 

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やはり私は植物に愛着を抱いているようなのです。

日常のちょっとしたことから学ぶこと、気づくことはたくさんあります。